蒐集の鬼 柳宗悦『蒐集物語』

注文した柳宗悦『蒐集物語』(中公文庫)が届く。何年か前に出た限定復刻版ではなく旧版。読み始めると止まらない。


「盒子物語」
大正5、6年ごろ。朝鮮で李朝の盒子(辰砂入り)を見つけ、帰国まで預かってもらうことを約束したが、受け取りに行くと売られてしまったという。2年後、京城を訪ねた時、李朝の品の蒐集家富田儀作翁の家でその盒子を発見し、「こんなにも欲くおもったことはない」水滴も目にする。柳は翁に経緯を伝えることも考えたが、結局沈黙を守った。何年か後、翁は亡くなる。
それから十数年後の昭和5年、米国ケンブリッジに滞在していたとき、国際的な古美術商として知られる山中商会の店の地下の「うす暗い室」に雑然と置かれた品物のなかに、盒子と水滴を見つけ「思わず二つを掌の中にしかと握り、胸に抱いた」。
 山中商会の創業者山中定次郎が富田家の血族で、翁の死後、遺品の多くを引き取ったことから、朝鮮から海を渡って米国に送られたのだったが、その2つの地で柳が出合うとは、なんという不思議なめぐり合わせ。


「鬼の行水」
大正15年、大津市の商品陳列所で開かれた大津絵展に出品された絶品「鬼の行水」に出合う。蒐集家渡辺霞亭の蔵品だった。その二年後、霞亭が亡くなる。蒐集品は大阪で売立に出され、入札に参加するが、大津絵の蒐集家山村耕花が落札したため、手にすることができなかった。
 時移り、昭和15年、山村が急死する。蒐集品が売り立てられることになったが、「鬼の行水」は競争相手があまりに多く、予想される値を出す資力はない。このため、大原美術館の大原孫三郎翁に買い取ってもらい、不日、日本民藝館に寄託してもらうことにした。
 大原は昭和17年に亡くなる。間もなく嗣子総一郎からこの作品が民藝館に届けられた。柳がこの作品を初めて見てから18年後のことだった。


信楽の茶壷」
大正14年秋。江州(滋賀県)、近江八幡の道具屋を覗いたときのこと。

店の暗い奥の一隅に、僅か一寸ほどの幅を見せて、黒い壷の胴が射るように私の眼に映った。棚は天井に近いほど高かったし、物が重なり合って殆どそれを塞いでいたが、私は私の眼を信じた。素敵な品だとすぐ直感した…


3円の札のついた壷は江戸中期ごろの作と推定されたが、「全く今までに見たこともなく、類似した例を他に知らない」獲物だった。
 「どうしても喜びを分かちたく」て、河井寛治郎宅を壷を抱えて訪ねる。「お互いその壷を眺めて、美しさのこと、仕事のことなど、心ゆくまで語り合った」。民藝展に展示すると、山本耕花は垂涎措く能わず、「何とか譲ってもらえぬか」という。

…とメモしていくときりがない。普通であればあり得ない、柳の「眼」が品物を引き寄せているとしか言いようのない出来事ばかりだ。 



本日の入手本。
小島直記『福沢山脈』(河出文庫)計600円